こんばんは、komochuです。
魚拓を見ると、2002年のFC町田出身の新加入選手はGKの原口とMFの星の2人だけだったようですね。
記憶を頼りに書いていますが、何分20年前のことなので。調べるにも時間がかかるので、まず書く!ということで、お許しください。
そんな中でもベガルタ仙台の前身であるブランメル仙台に所属した阿部、読売クラブやフジタ(ベルマーレ平塚)でプレーした宮村、横浜FCに1年だけだったが在籍した奈良など、上位リーグ経験者もいて、なんとか7位フィニッシュ。
この年は九曜が関東2部に昇格したんじゃなかったかな。前にも書きましたが、日立ビル、東芝府中、そして忘れてました、東京海上も強かったですね。企業チームが強い!仕事ありますからね。仕事しながらサッカーできる環境がありますから。良い選手が集まります。
この年は、まだ野津田の陸上競技場を使わせてもらえず、上の原Gが精一杯というところでした。本町田の少年サッカー場を使わせてもらって試合をしていました。ドロドロになりながら。
2003年はFC町田出身で帝京OBの今井、そして法政二の町田なんかが加入してますね。このころになると、町田にJリーグを目指すクラブがあるというのが少し知れ渡ってきて、町田出身ではない選手も入ってくるようになってきました。選手権経験者の前橋商出身の竹渕などが加入したものの7位でシーズンを終えました。
この年から野津田の陸上競技場を使わせて頂けるようになっています。
もちろん、市立陸上競技場なので、サッカーだけに使うわけにはいきません。他の競技などでも使うわけで、1年間に使える枠というのが種目毎に決まっているわけです。そして町田のサッカー協会でも、もちろん1社会人チームでしかないゼルビアだけに優先的に割り当てることはできないわけで、少ない決められた枠の中で2枠も使わせて頂けるようになったというのは当時の町田サッカー協会の協力以外の何物でもありません。感謝しかないですね。
ホームページの方では掲示板を新設し応援してくださる方々とのコミュニケーションがはじまったりもしました。トップページだけ魚拓が残っていたので紹介します。
2002年11月にはFC町田ゼルビア初となるグッヅ Tシャツを発売しました。箪笥のどこかにあるはずなので、あとで探しておきます(笑) 写真載せますね。
記憶として収入は毎年2倍増えていった記憶があるので、2003年は200万円くらいの収入になっていたとおもいます。選手から50万くらいとして、その他で150万円ですから、後援会の会員も随分増えていたんじゃないかな。今度調べてみたいです。
そしてこの年2003年、FC町田ゼルビアにとって大きな転機が訪れます。
続く