回想録・思い出

転機 その4

こんばんは、komochuです。

「FC町田ゼルビア後援会」の事務局長に就任した私の最初の仕事は、チームのお金状況の把握でした。

会計帳簿があるわけでもないです。どういう運営してきたのかもよく分からない(笑)

蓋を開けてみたら、スポーツ店で作ってもらったユニホームの代金がまだ払われていないとか、関係者が立て替えてたお金があるとか、いろいろ出てきました(笑)

そんなの知らないよ、領収書取ってるの?とは言えません。信じるしかありません。

まさにゼロからのスタートではなく、マイナスからのスタートでした。

そして1枚の紙を守屋先生から渡されます。

「FC町田ゼルビア後援会」の会員リストです。50名くらいのお名前、ご住所連絡先が書いてありました。まずはこの方々に連絡を取り、もう一度Jリーグを目指すことになったので応援して欲しい旨をお伝えし、年会費を徴収するのが私の仕事になりました。

前述したかもしれませんが、「FC町田ゼルビア後援会」は、ASフリューゲルスの誘致が頓挫した後で、誘致の可能性を探りつつも、FC町田のトップチーム(FC町田のOBが中心になって作ったサークルチームですよ)を強化してJリーグを目指そうという方針になって設立された支援団体です。

会長に衆議院議員、副会長に町田の名だたる有名企業の社長さんたちが名前を連ねていましたのでかなりの本気度が伺える団体でしたが、発足パーティーで集めたお金を使う果たしてしまい、チームの強化には1円も使えなかったとか(笑) そんなストレートに言えばどうしようもない(笑)団体でしたが、名前だけで実態が無いものでした。

後援会の運営を行っていたのは、町田青年会議所出身の方々のようで、その中で守屋先生からH方先生(現在も株式会社ゼルビアの監査役です)やI十子さんを紹介されます。そしてまた一緒に頑張っていただけることになりました。

私は自分でホームページを作り、情報を発信するとともに、後援会会員募集の案内や会報誌などを作成しましたが、I十子さんは自営で印刷所を経営されており、ソフトウェアを使って冊子などを作る専門家でしたので、illustratorを使って原稿レイアウトを作成、印刷まで行って頂けました(もちろん印刷代は払いました)

封筒に案内状、会報誌を入れ50名の方に郵送。

年会費は年5千円だったと思います。安い金額ではありません。それでもお金を振り込んで頂ける方もいて、本当にありがたかったです。

よく考えてみてください。ただのアマチュアサッカークラブですよ(笑)

この先、どうなるのかも分からない。そんな何の見返りも期待できないチームに5千円もはらってくれる方がいたのです。

この方々がいなかったら、今のFC町田ゼルビアは無かった、何にも代えられないヒーローです。クラブの歴史にその名前を残すこともないにも関わらず。しかし絶対に感謝の気持ちを忘れてはいけない人たちです。

こういう「無償の愛」に支えられ、新しく生まれ変わったFC町田ゼルビアは出発しました。