回想録・思い出

転機 その6

こんばんは、komochuです。

当時のことを思い出そうとあれこれ検索していたら、結構、情報が残っていなかったり、意外なところで残っていたりして楽しいですね。

なんと、当時、私が作っていたFC町田ゼルビア初の公式サイトが魚拓されていたので、恥ずかしいですがご紹介します。

ZELVIA on web

2002年5月にオープンして11月29日でカウンター5090(笑)

文字化けする方は、エンコードを変換してみてください。

当時はあまりに知名度がなかったので、町田出身のJリーガーの情報なんかも載せていて、必死感が伝わってきますね(笑)

ものすごく懐かしくて懐かしくて。

ご挨拶のところを見たら、守屋先生の文章が。懐かしい。

今、読んでも胸が熱くなって、ちょっと涙目になりました。名文ですよね。やっぱり守屋先生、すごいね。

これがFC町田ゼルビアがJリーグを目指した原点です。

もしかしたら見れなくなってしまうかもしれないので、こちらにコピーさせて頂きます。

もう今の公式サイトにも載っていないようなので。

ぜひ、読んでみてください。

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ご挨拶

「サッカーのまち・町田」の夢をのせて

数年前、FC町田の中学生を連れてイタリア遠征に行ったときのことです。
ローマ郊外のヴィッテルボという町で、「ヴィッテルベーゼ」の中学生チームとの親善試合をした小さなスタジアムに入った瞬間、色とりどりの広告に目を奪われました。
スタンドの至る所にびっしりと広告の幕、看板が張ってあるのです。

関係者に聞いてみると、セリエC1に所属するヴィッテルベ-ゼに対する協賛だそうです。
たとえ小さなクラブチームでも、わが町のチームとして地域の人々の希望と誇りになっているのに驚かされ、また、羨ましくもなりました。

3年間ほどイタリアに行きましたが、どの町にもそうしたチームがあり、日本から来たチームが試合をするというと、市民が応援に駆けつけていて、サッカーの歴史の深さや、市民生活にとけ込んでいることを強く感じました。

さて、町田は「少年サッカーの町」として発展し、全日本少年大会の優勝、日本クラブジュニアユース選手権、クラブユース選手権の準優勝、高円宮杯3位など他の市町村に負けない実績を築いてきました。
しかし、本当にサッカーの町として熟成していくためには、多くの市民やサッカーファンに応援され、ふるさと意識の高揚につながる「おらが町のサッカークラブ」を育てていくことが一番の命題と強く感じています。
そうした思いがあったところに、イタリアでの光景が重なり、さらにその気持ちが大きくなりました。

町田のサッカーを強く愛する前理事長の重田先生の声かけで生まれた「FC町田ゼルビア」は、地域の誇りとなり、少年達に夢を与えるクラブチームに向かって小さな一歩を踏み出しています。
練習環境、資金などまだまだ解決していかなければならない問題は山積しています。
しかし、幸いにも、このチームに夢を託す強力なサポーターも現れ、私たちも、再度、
「FC町田ゼルビア」を育てていこうという志を強く持っています。

最後になりましたが、多くの皆様にお願いします。

一緒にゼルビアを愛し、育てましょう!

今年、来年でしっかりとチーム作りをし、関東リーグ入りが目標です。
サポーターとして、後援会員として、選手として・・・・・・どんな形でもいいです。
皆様の応援をお待ちしています。

町田サッカー協会 理事長
FC町田ゼルビア 代表
守屋 実

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