回想録・思い出

転機 その5

こんばんは、komochuです。

東京都1部リーグでは年間約100万円の運営費が必要でした。

もちろん、これには監督などの人件費など入っていません。

リーグへの登録費、テーピングなどの水やスポーツドリンクなどのスポーツ用品代、練習グランド代が入っていたか、、、ちょっと忘れてしまいましたが、100万円という金額だけは覚えています。

選手から年会費として1人2万円を徴収することにしました。これまで無料だったわけですが、流石にそれでは運営できません。それでも年間2万円で試合も入れて週3回サッカーができるわけですから、お得と言えばお得ですよね。

この選手会費で約半分、残りの半分は後援会で集めなければなりませんでした。

後援会のリストに載っていた50人は、もともとほとんど身内の近い方々が多かったと思います。

守屋先生やH方先生、I十子さんの近しい人がほとんどでしたので、連絡を入れて頂きながら、入金をお願いして廻りました。

とにかく、後ろ盾の無いアマチュアサッカークラブですので、赤字を出すわけにはいきません。

私の本業が財務管理なので、予算をきちんと作成し、実績と比べながら赤字にならないように運営しました。初年度はなんとか100万円集まったと記憶しています。それでも途中で予算に入っていない支出があったりして、「おーい、聞いてねぇよ」ということがあったりもしました。ドキドキでしたね(笑)

この辺も当時使っていたパソコンを捨てないで残してあるので、なんとか情報を取り出してまとめたいですね。どなたか良い方法知りませんか?

 

現場は若手が増えたと言っても、FC町田黄金世代は健在で、木町、丸山(現スカウト部長)、大友(現社長)を中心に奮闘。7位で2002年のシーズンを終えます。

私はもちろん毎試合参加し、会場では水などの準備のような雑用をしました。愛車のオデッセイにたくさんの荷物を積んで毎試合走っておりましたね。

試合終了後のミーティングでは、当時、年間70試合ほどの有料試合を観戦していた経験(笑)から、素晴らしいプレーをした選手に対して、「事務局長賞」をあげていました。

ポチ袋に2,000円を入れて、その試合で一番、活躍したと思われる選手に対して心からの感謝と敬意をこめてお渡ししていました。少ないですけどね(笑)気持ちは100万円です(笑)

得点を入れた選手だけでなく、素晴らしい守備をした選手など、ポジションや選手に偏りがないように配慮しました。

サッカー見に行くと少なくとも2,000円くらいは払って当たり前という生活でしたので、私にとっては「チケット代」と思って渡していました。選手も別にそれを目的にプレーしているわけではありませんが、もらえたらラッキーくらいの感じだったと思いますが、特に報酬などのないアマチュアサッカークラブの中で、少しばかりのご褒美として喜んでくれていたと思います。

選手と一緒にワールドカップを見に行ったり、とても楽しい2002年でしたが、降格もせず赤字にもならず無事に終えることができました。