今日は祝日、ということで、木曽事務所に来ています。
トップは練習試合ですが、スクールスタッフは、今、スクールに出かけて行きました。
これから会計の打ち込みです。がんばります。
今日は、先日の続き、「FC町田ゼルビア後援会」について書きたいと思います。
FC町田ゼルビア後援会の発足は、96~97年くらいだったように推測しておりますが、機会を見つけて、正確な時期を調べておきたいと思っています。
先に書いたように、誘致の可能性を探ってきたわけですが、上手くいかず、地元のクラブを強化することによってJリーグを目指す方向に変換した。当時、東京都2部であったFC町田のトップチームにゼルビアという愛称をつけて、Jリーグを目指すということを高々と宣言し、後援会を発足しました。
私が、後援会の事務局長を拝命したのが、2002年だったのですが、その時、受領した1枚の名簿。「FC町田ゼルビア後援会 名簿」ですが、約50名の記載がありました。その中には、町田の名だたる企業の方、青年会議所のメンバーの方など、当時の熱を感じる名簿であったと思います。
それでも50名。当時は、1人1万円の会費でしたので、50万円が年間収入です。
当時の逸話としては、発足のパーティを開催したら、人が集まらず、集めた50万円をそこで使ってしまい、チーム運営費には1円も回らなかったとか!?結局、後援会を立ち上げたものの、チーム運営費は集まらず、活動家も減っていき、、、という状態だったようです。
東京都1部リーグで運営をする場合、普通に運営するだけでも80万円程度は必要になってきます。Jを目指すということで、選手からは会費を取らず、後援会に頼った運営で、結局、後援会でもお金を集められず、、、ということで、チームの関係者が身銭を切って運営していたのがこの頃です。
それに比例して、チームの順位も下がっていき、、、2001年には11位でギリギリ降格を免れるという状態までいきました。
この年は、まさにミラクルでした。
最終戦、忘れもしない日立ビルシステム戦。大宮のグランドで対戦し、ゼルビアは敗戦。降格が決まったと思った瞬間でした。
ところが、何故か、他の降格争いをしているクラブの成績によって、残留が決定。詳しい内容は忘れてしまいましたが、、、勝ち点11くらいだったんじゃないかな?この勝ち点で残留したのは、異例だそうです。ここのところは時間があったら、調べておきたいと思います。
この年、太鼓持って颯爽と試合会場に駆けつけたのが、私、小森でございます(笑)
この年の暮れだったでしょうか。
私は、当時、町田サッカー協会の理事長であった守屋先生に手紙を出します。どんな内容だったかは忘れてしまいましたが、町田にプロサッカークラブを作りましょう!という内容だったと思います。
なかなか返事が来ないな、と思って、やっぱダメなのかなと思っていたところ、翌年の春だったと思います。2月、3月くらいだったでしょうか。丁度、上の原グランドで練習試合をやっていた時に、守屋先生が来ていました。紹介してもらい、初めて言葉を交わしたところ、「あー、君が小森くんか。封筒の中身、何も入ってなかったよ(笑)」
ガーーン!私としたことが。手紙を中に入れてなかったのか!
ということで、アホな私でした。
「小森くん、後援会の建て直しをしたいので、事務局長をやってくれないか」と守屋先生からオファーを頂き、即座に了解。
それが2002年の春だったと記憶しています。
つづく。